Willerm Delisfortインタビュー

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今回のイベント最注目のピアニストWillerm Delisfort(ウィラーム・デリスフォート)に先日インタビューをしてきました。彼のことを日本で知っている人はほぼいないと思います。しかし、Willerm Delisfortは今のNYジャズシーンにとって欠かせないピアニストに違いないです。主要ジャズクラブで毎週演奏しているのを見ますし、NYのほとんどのジャズミュージシャンが彼のことを知っています。

ブルーノート東京などにNYから来日公演しにくるミュージシャンは本当に一握りです。NYの現場にいないと知らないような、ブルーノートが呼ばないようなミュージシャンを日本に連れてくる、そしてできるだけリーズナブルな値段でみなさんに聴いていただき、NYを感じてもらうというのが私の夢であり使命です。今回また一つ夢が叶うのでとても楽しみにしています。当日みなさんにさらに楽しんでいただくためにもインタビューを通してWillermについて知っていただきたいです。

 

以下

T:森  W: Willerm

バックグラウンドについて

T「ウィル、今回は僕らのプロジェクトに協力してくれてありがとう。日本のみなさんにあなたのことを紹介したいです。まずバックグラウンドについて教えてください。」

W「僕はフロリダ州マイアミにハイチアン(ハイチ系)の両親のもと生まれた。マイアミという街はいろんな人や文化が入り混じるユニークなところなんだ。アメリカだけど、中南米の島とも近いからね。」

T「いろんな人や文化が入り混じるというのはNYに少し似ていますね。あなたのピアノのサウンドはもちろんジャズですけど、“マイアミ”のようにいろんな要素が入ってユニークに僕は感じます。最初はどういう音楽から聴き始めたんですか?」

W「“コンパ”を最初は聴いていたね。ハイチアンジャズみたいな感じかな。家で1日中流れていたよ。そしてマイアミの街に出るととにかくいろんな音楽が流れていた。ポップスもR&Bもヒップホップも。ジャズは学校のプログラムの一環で学び始めた。Miles Davis, Phineas Newborn, John Coltrane, McCoy Tynerなどレコードを毎日のように聴いて勉強していたよ。日曜になるとチャーチに行って教会音楽もよく聴いていた。毎日家、外、学校、教会といろんなところで、いろんな音楽が溢れている、そんな環境で僕は育った。」

T「そうなんですね。そういう環境の話といつも聴いているあなたのピアノのサウンドがつながりました!」

大学院を卒業後、NYへ

W「大学までマイアミにいて、大学院はシカゴの学校に行っていた。シカゴはすごくソウルフルな街でね、音楽シーンもワイドなんだ。その現場にいたことが自分の音楽性にすごく影響していると思う。そして大学院卒業後、NYに引っ越したんだけど、今まで自分が触れてきたすべてが凝縮されたものがここにはあると感じた。」

T「大学院を卒業してからNYに移ったということはだいたい25歳くらいですよね?それこそ今の僕の年齢なんですけど、今の僕はとにかく目の前のことでいっぱいいっぱいで・・・。とにかくギグがほしい、どうやって生きていこうかと考える毎日です。引っ越してきたばかりの時はどういう感じでしたか?」

W「引っ越してきたばかりの時はやっぱり仕事がないのでどうにかしようとしていた。そんな時に学生時代に毎日のように遊んでいた友達がもうすでにNYに数年いて、彼らが仕事をくれた。それは本当に助かった。最初の3年はすごくストレスを感じる日々だったね。みんなそうだと思う。ただ、重要なのはその場にい続けることだ。」

W「家賃も払わないといけない、ご飯も食べないといけない、税金も払わないといけない。演奏の仕事も本当はやりたくない内容でもやらないといけないし。とにかく最初の3年だね。ストレスを感じる日々といっても、気分はよかった。5年たつとイマイチな仕事を断れるようになった。ただ、そういうやりたくない仕事をすることも個性や自分の音楽、アイデンティティを形成する上で必要だったね。」

 

キャリアについて

T「最初の3年と言いましたけど、どのタイミングで自分のポジションの変化に気づきましたか?」

W「まず1年たってからちゃんとしたコンサートの仕事が少しだけ入るようになってきた。いわゆるSmallsやSmokeといったジャズクラブでの演奏だね。毎回楽しいけど、翌日また現実に引き戻される。毎週水曜にあるMinton’sのセッションにもよく行っていた。節約するために1ドリンクだけ注文して、ハウスバンドの演奏を見て、セッションタイムになり演奏する。1杯のビールで5時間いたね。セッションに行くというだけでも忙しくしようと思えばできる(笑)それくらいNYはたくさんのところでセッションをやっている。セッションに通い続けるのは地道なことだけど、ビールを飲んで、楽しく演奏して、たまにギグがもらえて・・・一つ一つの小さなことが楽しかった。」

T「セッションに行くことは仕事といってもいいくらい大切ですね。たまにきつくなりますけど(笑)」

W「仕事につながることもあるしね。みんなと仲良くしてキャラクターを知ってもらったり、みんなと一緒に演奏してお互いを聴き合って学んでいったりしないとね。一緒に演奏していてサウンドが変な感じになるミュージシャンがたまにいる。でも『こいつと一緒に演奏したくない。』ではなくて『どうやってこの状況を変えるか』、『どうやってバンドをSounds goodにするか』をいつも大切にしている。」

 

ミュージシャンとして、夫として、父として

T「4,5年目からはキャリアも含めて状況がさらに変わったんですよね?」

W「そうだね。だいぶ自分の名前がNYのジャズシーンに広まってきて、上の世代のミュージシャンたちにも名前を覚えてもらえるようになってきた。あとジャズクラブで自分の枠をもらって毎週演奏できるようになった。そして結婚して、子どもも生まれた。奥さんとは学生時代からの付き合いで、誕生日が一緒だったので友達の頃は誕生日はランチをお互いご馳走し合っていた。それから付き合い始めて一緒にNYに引っ越してきたんだ。」

W「NYでミュージシャンとして生きていくのはとても大変だ。そしてパートナーを持つことについて・・・とても簡単には説明できないけど、パートナーを持つと下手なことはできないし、家のためにもたくさん働かないといけない。あと、様々なことで自分だけの問題ではなくなるので リスクを負えないよね。」

W「NYに引っ越してから奥さんもピアノを教えていたし安定した収入があったけど、子どもができてから自分はさらに仕事を得るためにとにかく夜な夜なジャムセッションに行って自分を知ってもらった。とにかく必死だったね。」

T「NYでミュージシャンとして身を立てるだけでも大変なのにさらに家族のことまでって・・・。もちろん家族は素晴らしいと思うんですけど、今僕はとにかく自分のことで精一杯なのであなたのようにミュージシャンとして、夫として、父としてNYで生きていっているのが信じられません。」

W「自分はアメリカ人だし、兄弟もここにいるから助けてもらっているけどね。日本から来ている君と同じように自分の奥さんもアルメニアから単身アメリカに来た。『なんとしてでも成功しないといけない』という思いを持ってね。この厳しい環境のNYで1人でやっていくのは精神的にも大変だから1人でも気軽に声をかけられる友達がいるだけで全然違うよね。自分1人ですべてやるなんて信じられない。家族を持ち、NYにいることはとても大変だけど、そういう意味では近くに誰かいるだけで、自然な自分でいられるし、家族は本当に自分の支えになっている。」

W「昨夜も深夜までSmallsで演奏していて、電車(NYの地下鉄は基本的に24時間運行)で帰って帰宅したのは3時だった。そこから寝て、朝6時には起きて、朝ごはんを食べて、シャワーを浴びて、着替えて、子どもを学校に連れて行ったんだ。こんな生活スタイルを続けるのはすごくタフだけど、毎日家族の絆は深まっているよ。」

T「もちろんみんな新しいところに行くためにいつもチャレンジしていますが、もうあなたはNYでミュージシャンとして生き、ジャズシーンで活躍されています。そういう意味では夢はかなっていますよね。今後他に夢はありますか?」 

W「夢というか夫として、父としてだと毎日が新しいよね。結婚してまだ6年だし、息子ももう少しで5歳だし。成長がとても楽しみだ。まだまだこれからいろんなことが待っていると思う。ミュージシャンとしても同じように、これからいろんなことが待っている。音楽に終わりはない。たくさん曲を書いて、たくさん演奏して、その後課題を克服しての繰り返しだ。もうすでにたくさん自分の曲があるからアルバムもそろそろ作らないといけないなと思っている。すべての曲にストーリーがある。音楽を通じてたくさんの人々にメッセージを伝えたい。」

 インタビューを通じてたくさんのことを学ばせてもらいました。1人のミュージシャンとして、夫として、父としてNYで生きているWillermの姿はとてもかっこよく、輝いています。9月23日ぜひNYの風を体感しに来てください!

陸悠x森智大後編

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音大やプロを目指すきっかけ

陸「高2で部活が引退なんですけど、引退してから一人の時間が増えました。引退したことでビッグバンドをやる機会が減り、コンボにも興味を持つようになり、もっと音楽を勉強したいと思ったんです。高校生から大阪音大でも教えている先生にずっと習っていたのですが、その先生に進路相談したところ『(日本の)音大には行くな。一般大に入って、大学のジャズサークルに入るのはどう?』と言われたのがきっかけで、甲南大に進学し、経済学を専攻してました。あとNY州の大学にも経済学を学びに1年留学してました。」

森「あえて一般大を選んだんだね。大学を卒業後渡米するわけだけど、バークリーに行くきっかけは何だったの?」

陸「大学卒業が近づくと就活をしないといけないじゃないですか。就活もやっていたのですが、嫌になってきて・・・。あと大学の後半にはもうミュージシャンになりたいと思っていましたし。ただ親からはしっかりとお金を貯めて、ベースを作って(しっかりと働いて)からミュージシャンになりなさいと言われました。ただ、ある時母親が甲南のブラスアンサンブル部の顧問の先生に進路について相談しに行ったみたいで、その先生は『海外で自分の好きなことを勉強するのが一番本人にとっていいことだと思う。』と言ってくれたみたいで、そこから母親が変わり、『留学して勉強してみたい?』と言ってきました。自分も甲南大の後に音大に行けるとは思ってなかったのでびっくりしました。母親のその行動がきっかけでいろいろと動き出して、自分もアメリカの音大やオーディション、学費について調べて周りにも説明しました。」

森「じゃあ大学3,4年の頃周りからいろいろ言われたり自分の思いがあったりともやもやしていたけど、お母さんのその行動がターニングポイントになったんだね。」

陸「もう本当にもめました。親戚一同大反対で。自分の家系でミュージシャンになった人はもちろん1人もいなくて、 『それはやめた方がいい!』とすごく言われました。」

森「周りは音楽に対してオープンだけど、職業にするのは別の話だろって感じだよね?」

陸「まさにその通りです。ただ、そこで母親が味方になってくれました。」

森「いいお母さんだね。でもそこでくがくんがしっかりと思いを伝えて、自分でオーディションや学費のことについてしっかり調べて周りに説明したのはえらいと思う。いろいろと相談してくる後輩も多いんだけど、何も調べてないで聞いてくる子もちょこちょこいて・・・。『わからないので教えてください。』と『調べたけどわからないので教えてください。』では違うよね。こっちがやってもいいんだけど、やっぱり自分で乗り越えようとする姿勢が大切だと思う。結局アメリカの音大はバークリーだけ受けたの?」

陸「複数選択肢があった中でバークリーを選びました。無事にオーディションに合格し、奨学金も獲得しました。」

森「それでついにバークリーに行くわけですけど、学校で印象に残ったことある?プレイヤーとしてやコンポーザーとして周りにすごい人たちがいたとか。」

陸「まず、プレイヤーに関してだと、みんな楽器のコントロールが非常にうまくて、ただ音を一つ吹くだけでもしっかりと楽器が鳴っていると感じました。インプロビゼーション(即興演奏)だけではなく、楽器そのものの練習をよく積んでいるんだなと思いました。作曲に関してだと、意外と自分たちが中高でよくやっていたCount Basieのようなトラディショナルなビッグバンドはみんな書かないんだなと思いました。学校の顔でもあるビッグバンドもわりと新しめのジャズの曲、生徒の曲をやっていて、セット全体がモダンだなと感じました。」

森「なるほど。あるあるだね。すごくよくわかる。結局バークリーにはどれくらいいたの?」

陸「2年ですね。もともと留学は大学院みたいな扱いで2年と決めていたので、3,4年かかるところをテストアウト(授業を取る前にテストに受かれば単位がもらえる)など頑張って2年で終わらせました。」

森「それはすごく頑張ったね。バークリーのジャズ作曲科は忙しいのに。決めたことをしっかり実行してすごい。」

今の活動について

森「今はアメリカでは基本的に学校のことをやっているんだろうけど、他にやっていることはある?日本でのことでも。」

陸「関西で一つだけやっていることがあります。それこそチャレンジャーズに似ているところもあるんですけど、20代前半の若手ミュージシャンを集めてジャズのコンサートをやっています。そこで一緒に演奏したり交流をしたりして盛り上げるのが目的ですね。一応そのコミュニティの主要メンバーの一員です。」

森「おもしろいね!くがくんを呼んだのはいろいろきっかけがあるんだけど、やっぱり関西と福岡のパイプ役になってほしいというのもあってね。全国でいろいろなジャズコミュニティの動きがあるけど、特に西日本は熱いから西日本から盛り上げたいんだよ。」

陸「いいですね!」

 

今後の活動について

森「今まだボストンにいるけど(インタビュー当時)、そろそろ地元の神戸に戻るんでしょ?」

陸「そうですね。数ヶ月神戸で準備をして、そこから東京に移ろうと思っています。そしてレッスンで教えたり他の人たちとライブをしたりしながら将来的にはラージアンサンブルやビッグバンドで自分の曲を演奏したいと思っています。」

森「そうなんだ。じゃあ数年後のビジョンとか夢とかはある?」

陸「最近『この曲は君らしいね!』とか『陸くんのサウンドだ!』とかよく言われるようになったんですけど、そういう“らしさ”がラージアンサンブルで出していけたらと思いますね。」

森「自分も作曲する立場でもあるけど、やっぱり『君らしい!』と言われたりそれを他の人たちが演奏してくれたりしたら嬉しいよね。」

陸「そうですね。本望です。」

森「最後に福岡のチャレンジャーたちにメッセージをお願いします。」

陸「今回は呼んでいただきありがとうございます。みなさんとお会いできること、演奏できることを楽しみにしています。」

 

陸悠x森智大前編

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質問者とのストーリー

森「もともと陸(くが)くんとはそんなに接点なかったよね。」

陸「そうですね、僕がバークリーに入学したのは2016年秋です。」

森「そうか。もう自分は卒業してるね。たしかギグでボストンに来た時にバークリーでくがくんから寄ってきて、森さんですか?って。ツイッターでたしかフォローしてくれてて、それで知ってますって言ってたね。何回か会ったくらいで実はそこまでくがくんのこと知らないし、共演もしたことないよね。」

森「今回この企画に誘うきっかけになったのが福岡に若手のサックスがなかなかいなくて、じゃあ県外から誰か連れてくるかってなった時に東京を見渡したんだけど、東京組もすでにいるし、パッと思いつく人がいなくて・・・。リーダーが特にテナーが欲しいというのでくがくんが思いついたんだよね。あと、チャレンジャーズのトランペットの荒牧くんもくがくんって名前あげたので。荒牧くんとはどういうつながりなの?」

陸「荒牧さんは東京の学バン(大学のビッグバンドサークル)コミュニティで知り合いました。自分が慶応のビッグバンドにサブで呼ばれたのをきっかけに一時期参加していたので。」

森「関西にいながら東京の大学の学バンに参加するのは珍しいね。」

 

楽器、ジャズを始めたきっかけ

陸「中学校のブラスアンサンブル部でテナーサックスを始めました。」

森「そういえばくがくんは中高大とジャズで有名な甲南(トランペッター黒田卓也氏などを輩出したブラスアンサンブル部はジャズが専門)出身だよね?ジャズをやる部活があったから入学したの?」

陸「いえ。そもそも甲南はいくつかある選択肢の一つで、偶然入学したという感じです。そしてジャズをやる部があること自体も入学してから知りました。父が学生時代ラテンジャズサークルでトランペットを吹いていたこともあってジャズに馴染みもあったのですが、なんとなくブラスアンサンブル部に入って、テナーが偶然あいていたので始めたという感じです。」

森「なんとなくこの楽器どう?とすすめられたりとか余った楽器をやらされるとか吹奏楽あるあるみたいね(笑)じゃあ今までジャズを続けてきて、アメリカにいるのもかなり偶然なんだね。」

陸「そうですね。本当にいろんな偶然が重なっています。ジャズとの出会いは運命といっても過言ではないほどだと思っています。」

森「それにしても中高大とジャズの部活があるのも珍しいね。甲南のブラスアンサンブル部ではどのようにジャズを勉強していったの?」

陸「 中学時代はDuke EllingtonやCount Basieなどとにかく古いトラディショナルなジャズをよく演奏していて、のめり込んでいきました。中3の頃にはビッグバンドのコンサートマスターを任されたこともあり、曲全体の流れをつかむためにスコアを読みながら音源を何回も聴いて学んでいきました。何がきっかけか覚えてないのですが、個人的にスムースジャズ(ポップな感じなジャズ)も好きになってたくさん聴いてコピーしたり演奏したりしていました。その後は気づいたらBrecker Brothersが好きになっていて、高校時代はBreckerばかりコピーして練習してましたね。今でも自分のヒーローたちです。高校生になると学校のバンドもいろんなことができるようになり、幅が広がっていろんな曲を演奏していました。」

森「じゃあわりとその時期その時期で流れに素直に身を任せて、好きになって一生懸命頑張っていたということなんだね。あと、中学でのジャズの教育というのに興味があるんだけど。高校、大学はまだわかるけど、中学生のジャズバンドって楽器やってない子もいるし、まず形にするのが難しいじゃん?どういうふうにまとめていくの?先生がしっかり教えるのかな?」

陸「当時顧問の名物先生が実はすごく放任で・・・。音楽の先生としてもちろん素晴らしいですし、部の管理もしっかりされていたのですが、基本的に演奏には口出しされませんでした。だから先輩から教えてもらったり自分たちで渡された音源を聴いたりがすべてでしたね。どうしても自分たちがわからない時は先生が登場という感じでした。もう何十年と続いている甲南の伝統らしいです。」

森「なるほど。やっていることが合ってる間違ってるは別として、中高生なりに自分たちで考えたり音源を聴いたりすることは基本的なことだし、ものすこく大切なことだよね。」

陸「そうですね。そこが今でも役立っていると思います。」

森「そういう環境が今のくがくんのベースを作ってるんだね!」

後編に続く・・・

 

 

JAZZ challengers 発足にあたって

〜9/22,23に行われるChallengers Project©️が開催されるまでの経緯〜

文:荒牧峻也

JAZZ Challengersの前身となるバンドでのライブ(福岡Backstage)

JAZZ Challengersの前身となるバンドでのライブ(福岡Backstage)

2018年9月22,23日

ちょうど1ヶ月後、ついに、Challengers Projectが開催される。遡ることちょうど1年前、全くバックグラウンドの違うメンバーがJAZZという共通項を持って知り合い、ライブを行った。そこで集まった元祖ジャズチャレンジャーズを中心に現在大きな挑戦に立ち向かっている。

それは”福岡のジャズシーンを盛り上げたい”ということだ。

それぞれのメンバーが様々なギグやイベント、セミナーに参加しながら、この一大イベントは1年かけて作り上げられてきた。チャレンジャーズ幹部の力武亮、森智大の両氏の熱い思いがあってのこの企画である。

 

2017年8月20日

この日は、今となっては懐かしい、初結成の日となった。ただそのとき最初ライブをやったときの感想は『なんだか良く分からないけど、なんか凄い。』それもそのはず、私以外のメンバーはお互い知り合いどころか見たこともなかったし、ライブ当日が顔合わせ初日。リハもバッとやって、さあ本番というペースだったからだ。

 

当時のメンバーは

力武亮 Trombone (北九州→福岡)

荒牧峻也 Trumpet(東京→福岡)

大村雄太 Bass(東京→福岡)

渡辺大樹 Piano (北九州)

 

ゲスト

大川拓人 Guitar (東京→大阪)

Texas Vocal (大阪→東京)

森智大 Drums (New York)

 

このウェブサイトでも紹介している通り、メンバーそれぞれ個人での音楽活動も活発であり凄いパワーがあった。だからこそこのジャズに対するエネルギーが一本にまとまることができれば大きな力になると確信があった。今後の未来のために、ジャズを広めていこうという思いはそれぞれの中にある。参加する全員ががこのチャレンジャーズを動かす原動力となっている。チャレンジャーズのムーブメントはジャズフェスティバル開催はもとよりジャズ市場の活性化を目指して活動している。ミュージシャンとリスナー、他の多種多様な経験を持った人が入ってくることでアイディアがさらに生まれる。1バンドとしてではなくコミュニティとして福岡の音楽シーンを盛り上げるというのはそういうことである。

JAZZ Challengers代表力武亮

JAZZ Challengers代表力武亮

代表の力武亮もこれからの福岡ジャズシーン発掘へ向けて、”&JAZZ”実施による多方面とのコラボやチャレンジャーズジュニア結成による若手の育成など様々な面での貢献を目指している。このような夢を描くにあたって、1年前の今日、いろんな考えを持ったミュージシャンが集いセッションしたことは一つのきっかけだっただろう。ジャズで繋がれる仲間は本当に多く、ミュージシャンの数だけそれぞれにストーリーがある。そこにも注目してライブを堪能していただけたらと思う。

 

 

齋藤武尊x森智大 後編

好きなミュージシャンや音楽性について

森「次は好きなミュージシャンや音楽性について聞きたいんだけども。たけるくんの好きなピアニストといえばSullivan Fortner(Roy Hargroveバンドの前ピアニスト)だよね。」

齋「はい、彼は神のような存在です。他にはErroll Garner, Bud Powell, Thelonious Monkが好きです。何かひとくせあるようなピアニストが好きなんですよね。今までバドやモンクも一応聴いていたんですけど、いまいち良さに気づかなかったんです。でもバドやモンクのいいところを持ってくるサリヴァンを生で聴いてから良いなと思うようになり、レコードの聴き方も変わりましたね。」

森「たしかに。ジャズやってると周りからレコードを聴け!と言われるけど、ピンとこない人が多いのは彼らにとって所詮音源でしかないのかなと。やっぱり生演奏が一番だよね。旬なミュージシャンを生で聴いて、彼らのルーツを知るためにレコードを聴くというのが個人的には理想な流れな気がする。そういう意味ではアメリカにはレコードのあの感じを体現できる人が多いよね。」

齋「たしかに。自分の周りの若手だとマッコイっぽいDavis Whitfield、コルトレーンぽいBen Solomonですよね。」

森「最近はどういう音楽を聴いてるの?」

齋「本当いろいろ聴いてます。クラシックはよく聴きますね。この前はプロコフィエフを聴きました。やっぱりジャズのレジェンドピアニストの演奏聴いていても現代音楽の影響を感じます。」

森「自分はバルトークが好きやったね!」

齋「最近思うんですけど、ピアノでしかできない音楽がいいなと。例えばビバップのサックスがやるようなラインを弾くのも楽しいんですけど、クラシックのラヴェルだとか印象派のハーモニーがとても好きで、ピアノならではの特徴、強みですよね。ピアノならではの音楽を追い求めていきたいと思っています。」

 

今の活動、今後の活動について

齋「今はボストンでギグをしたり自分のトリオをやったりしています。この1年はボストンにいる予定で、経験を積んだり、ボストンでのコネクションを固めたりしながら来年NYの大学院を目指そうと思っています。」

森「そうか。結構長い目で見てるんだね。来年NYに引っ越すということだけど、NYっていろんなミュージシャンがいるわけじゃん。これからNYでやりたいことや夢はある?」

齋「まず、自分の音楽の幅を広げたいです。やっぱりNYのいいところってミュージシャンの多様性だと思うんですよね。NYでいろんなミュージシャンと演奏していくうちにおそらく自分の新たな一面を気づかせてくれるだろうし、新たな可能性に期待しています。機会があればリーダーバンドもやりたいですし、作曲もしてますけど、自分はサイドマン気質なので他の人の音楽から吸収していけたらと思います。」

森「なるほどね。たしかにたけるくんといえばサイドマンだもんね。あと、自分だったらやっぱりDizzy’s, Smoke, SmallsといったNY のジャズクラブといえば!というところ(NYジャズシーン)でコンスタントに演奏したいという夢もあるんだけど、たけるくんは特別ここで演奏してみたいというところはある?」

齋「もちろんいろんなところでというのはありますが、初めて行ったSmallsの深夜セットで見たジュリアードのトップの学生たちの演奏に衝撃を受けたのでSmallsで演奏することに憧れはあります。他のお店に比べてミュージシャンとお客さんの距離がとても近くてそれも好きですね。 」

 

森「最後に福岡のチャレンジャーズたちへ一言お願いします。」

齋「また福岡で演奏させて頂けるのを楽しみにしています、気合い入れていくのでよろしくお願いします!©️」

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齋藤武尊x森智大 前編

チャレンジャーズミーティングに出演するピアニスト齋藤武尊さんに森智大がインタビューしました。

 

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齋藤武尊(さいとうたける)

ピアニスト、作曲家。1995年福島県出身、幼少期から音楽に慣れ親しみピアノを弾き始める。高校のJazz研究部に入ったことをきっかけにジャズへ転向し洗足音楽大学で教鞭を執っているYuki Arimasa氏に師事する。高校時代から地元福島や仙台での演奏活動を重ね、2014年秋にTOMODACHI Suntory Music Schalarship Fundの奨学生に選出され学費を全額免除でアメリカボストンにあるバークリー音楽大学へ入学、現在同大学の3年生。入学後Joanne Brackeen(p), Darren Barret(tp), Billy Kilson(dr)に師事。在学中には日本で開催されたU.S.-Japan Council Annual Conferenceでの演奏やBoston Red SoxオーナーのJohn W. Henry氏の私邸での演奏もするなど精力的に演奏活動を続けている。

 

質問者とのストーリー

森「最初に会ったのは2014年夏に早稲田のジャズ研でワークショップをやった時だったよね。」

齋「そうです、森さんとはあまり話はしなかったけど、(9月からバークリーに行くことは決まっていたので)バークリーの質問をいろいろぶつけてました。」

森「たけるくん黙々とクールに弾くけん少し怖かったというか、仲良くなれなさそうだなというのが正直最初の印象。」

齋「(笑)」

森「そしてたけるくんがボストンに来て、引越しを手伝ってもらったのも覚えてる。あと、トルコにも一緒に旅行行ったよね。ほぼ英語が通じない田舎で道に迷って、まだアメリカに来て間もないたけるくんが率先してどうにか現地の人とコミュニケーションをとろうとしてたのには感心したよ。」

齋「そんなこともありましたね。自分は普通に高校英語を勉強していたくらいでそこまで英語話せなかったんですけど、あの時はコミュニケーション取らざるを得なかったですもんね。」

森「やっぱりあえて厳しい環境に身をおいてみるじゃないけど、そういう状況から学ぶことも多いよね。」

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トルコ・ヒエラポリスにて

 

森「他にも1月2日から福島のたけるくんの実家にお邪魔したり(笑)なかなかそんな人はこれからも現れんやろう。」

齋「正月から泊まりに来るっていう図々しさ(笑)」

齋「あと、僕が学校の寮の食事に飽きて来て、森さんの家で日本食作ってもらって食べたり、一緒に練習したり、あとは森さんに学校の情報とかを教えてもらったりしましたね。情報はすごく大事だから。」

森「そうだったね。自分がボストンに来たばっかりの時は誰も知り合いがいなくて、情報がなくていろいろ困ったこともあった。だから自分が少しでも情報を話したり、手伝ったりすればみんな困らなくて済むもんね。」

 

楽器、ジャズを始めたきっかけ

森「たけるくんのバックグラウンドを改めて聞きたい。」

齋「自分では覚えてないんですけど、母親がオルガンを軽くやっていて、それを見てやりたいと言ったそうで3,4歳からピアノを始めました。街の個人でされてる先生のところに小さい頃から習いに行ってました。嫌になる時期もあったり中学生の時は合唱コンクールで弾いたり。」

森「ピアニストあるあるやね。自分も中学生の時弾かされた。そして高校生になって学校のジャズ研に入ったって言ってたじゃん。」

齋「そうです、最初はなんとなくジャズいいなという感じで。そしてBill Evansを聴いてかっこいいなと思い、さらにジャズに夢中になっていきました。」

森「そもそも高校にジャズ研があること自体すごい珍しいよね。全国でも少ないし、東京ならまだしも福島だもんね。」

齋「数十年前に1人の方がジャズをやる仲間を集めてジャズ研を作られて、そこからずっと続いています。今東京で活躍されてるギタリスト浅利史花さんも2つ上の先輩です。」

森「高校のジャズ研ではどういうプロセスで学んでいくの?いろんな子たちがいて、耳を使うのが得意な子もそうでもない子もいるわけじゃん。」

齋「今考えるとむちゃくちゃでしたね・・・。基本ジャズ初心者の集まりなので。でもとにかくみんなレコードを聞いてそれをなんとなくまねてましたね。ツタヤに借りに行ったり、先輩たちがそれぞれのおすすめのCDを部室に置いていってくれたりしてて。高2くらいからはとにかくジャズのレコードをあさってたくさん聴いていました。」

森「なるほど。むちゃくちゃとは言ってもレコードをたくさん聴くこと、それをまねようとすることというのはジャズミュージシャンとしてとても大切なことだよね。」

 

後編に続く・・・。